先生からのひと言
とにかく朝の用意ができないまる子。
なかなか起きないし、グジグジ言って準備しない。行き渋り。
時間をかけてなんとか準備して連れて行こうとするが、もう遅刻。
学校へ「遅れます」と電話をする毎日。
朝からため息ばかり出る。
スクールカウンセラーを受けて2日後の朝。
その日も学校へ遅れる電話をした時、担任の先生から言われた。
「お母さん、もう限界ですよ」
あたしは落ち込んだ。
まる子を保健室で降ろし、あたしは仕事へ向かったものの、涙が止まらない。
……限界って何?!
……もう保健室にも行けないって事?!
学校から突き放されたような気持ちになった。
会社にいても仕事もできず、涙が流れる。
昼休みに保健室の先生に電話して、「担任の先生から限界と言われた事が気になっている。話がしたい。」と伝えた。
あたしはこの保健室の先生が大好きで、心の支えだった。
夕方、保健室で担任の先生と保健室の先生とあたしの3人で話しをする約束をした。
午後からも全く仕事が手に着かない。
そのうち気分が悪くなり、横になって休ませてもらった。
そんなあたしを心配して、上司2人が運転は危ないし送るよ、と言って下さり、車の中であたしは助手席のシートを倒してただただ泣いていたが、何も詮索せず小学校まで送ってもらった。
そんな上司の優しさに更に涙が止まらなかった。
学校へ着いたらもう保健室に担任の先生がいらっしゃった。
あたしは「先生が限界と言われた意味を知りたい」と伝えると、
「クラスのみんなには、まる子さんは具合が悪いから毎日保健室に行っていると伝えていたけど、まる子さんはいつも元気だし、もうクラスのみんなにもきちんと説明しないと、これ以上はごまかせない、という意味で限界と言った」
と話された。
朝の電話の時も本当にそうゆう意味だったのかなー?と思いつつ、その「限界」なら理解できた。
確かに、毎日お友達が休憩時間の度に保健室にいるまる子に会いに来て、楽しく喋ったりしていた。
5年生ともなると、なんとなく理由を聞いちゃいけないような雰囲気を察するのだろうか、お友達は深く追求もせず、ただただ休憩時間や昼休み時間にまる子と過ごして、バイバーイとクラスへ戻っていく。
でも「まる子っていつも元気なのになんで保健室におるん?」ってお友達同士では話していただろう。
先生にも質問していたかもしれない。
でもまる子自身、クラスに行けない理由が分かっていない。
学校にも行きたくない様子だが、保健室ならなんとか行ける、という状態。
親のあたしも、まるこ本人も理解できていないそんな状態をクラスの子にどう説明したらいいんかなんて、あたしには分からなかった。
担任の先生は、まる子の事もクラスのみんなの事も考えなければいけないんだな、と思って、申し訳ない気持ちになった。
昼間は保健室で勉強したり、保健室の先生のお手伝いをしたり、なんとか楽しく過ごしている様子。
夜になると毎晩、明日の事を考えて寝る前にシクシクと泣き出す。
明日こそは行きたいけど、また朝になったら行かれないかもと不安らしい。
夜のまる子は特に、今までのまる子とはまるで別人だった。
「まる子2号め!また出てきたなー!」
といつも心の中で思っていた。
まる子は決して簡単に保健室登校しているわけではなかった。
毎日まる子の涙を見て、心底理解してやりたかったが、実際はできなかった。
スクールカウンセラー
初回のスクールカウンセラーでは、まる子と3人で話しをして、今の状態を伝えるくらいだった。
意味あるのかなという印象だった。
でも何もしないなんてできない。
何でもいいから脱出できる糸口を見つけたかった。
まる子は毎日保健室で過ごした。
あたしは会社へ行っても頭の中はまる子の事でいっぱいだった。
時々泣きそうになって仕事が手に着かない状態だった。
ゴールデンウィークの翌週
連日楽しんだゴールデンウィーク。
友達とBBQもしたし、大人数で公園にも遊びに行った。
他には卓球、温泉、ショッピングと、これでもかというくらい楽しんだ。
かなりリフレッシュできた。はずだった。。
翌週の月曜日から完全に保健室登校になってしまった。
火曜日は朝から小児科へ受診に行った。
「今は尻叩いて学校に行かせる時代でもないですから、無理せず休んでいいと思いますよ」と言われたもんだから、まる子は今日は休みたいと言い出した。
水曜も木曜も金曜も保健室には行けた。
あたしはこの頃から真剣に悩みはじめた。
だんだんと毎日がつらくなってきた。
どうしたらいいのか分からない。
毎日学校へ行く、そんな簡単な事ができなくなってしまった娘。
他の子は普通に登校しているのに、なぜウチの子だけ行けなくなってしまったんだろう。
何が原因か、それを改善して、早く普通に学校に行けるようにならなくては!と焦っていた。
保健室の先生に相談し、スクールカウンセラーの予約をした。
忘れもしない5月1日
5年生の5月1日。
朝から具合が悪く、登校できない。
でも笑顔だし、元気ではある。
あたしは会社を休み、「保健室に行ってみよっか」とまる子と一緒に保健室に行った。
どうにかそのまま登校させようと思っていた。
保健室の隣にある相談室で、保健室のM先生とパズルなどしながら、それとなく聞き出そうと3人で話してみた。
不安そうな表情もなく、楽しそうにパズルをしている。
「ちょっとだけ頑張ってクラス行ってみる?」と先生が聞いても「無理」と言う。
なんでーーーーーーー元気じゃん!!
意味が分からない。
でも今日は無理だな...諦めよう...と思い、保健室をあとにした。
「今日はお母さんとゆっくりしようか♫」と、近くの温泉へ行った。
初めて行った温泉だったが露天風呂もあってすごく気持ち良かった。
これでリフレッシュできると思った。期待していた。
色んなたわいもない話をしてあたしも楽しかった。
仕事を休んで、娘と2人で温泉に浸かるなんてとても贅沢な時間だった。
まる子はどう見ても元気だった。休んだ理由は見つからない。
楽しみながらも心はモヤモヤしていた。
温泉に浸かりながら、今日は餃子を作ろうか!って話になり、スーパーに材料を買いに行った。
2人であーだこーだ言いながら餃子を作った。
その日の夕方、あたしはネイルを予約していた。
「お母さん行っていいよ!あとはまる子1人で作れるよ!」と言うので、ネイルに行った。
帰ったら、とても上手に包んである大量の餃子が完成していた。
まる子はとても嬉しそうで得意気だった。
保健室に行っていた
5年生の4月。
なんとか学校には行っていたけど、どうやらしょっちゅう保健室に行っていた様子。
お腹が痛くなったり、頭が痛くなったりしていたらしい。
今まではあまり保健室に行く事はない子だった。
本当に体調不良なのか??
体のどこにも異変は無かったので、あたしは怪しんでいた。
クラスに馴染めない?
いじめられてる?
お友達とケンカして教室に居づらい??
まる子に聞いてみても、ただ本当に具合が悪くなるだけ、と言う。
んーーーーーー ・・・・本当??
うちの兄妹は性格が全く似ておらず、長男はわりと神経質な性格で、まる子は大雑把なタイプだった。
名字に “村” がつくが、教科書に名前を書く時、うっかり”村”の左の”木”を思いっきり大きく書いてしまい、右側の”寸”が入らんわーってなって、木の下に寸を書くという大胆さ。めっちゃダイナミックー!(というかおバカ?)
まぁーとにかく細かい事は気にしない。
何でも「ま、えっかー」って感じで、受け流す。
あたしに叱られてもすぐにケロッとしている。(これには訳があって、叱られてずっとウジウジしてたら周りが楽しくないから、と本人談)
小学1年生の時、学校でお友達のKちゃんが男子にからかわれていた時、「Kちゃん!嫌な事言われた時は、そんなこと言わんで!ってハッキリ言わんとだめよ!」と言って助けた事があったらしい(Kちゃんママ談(涙目になりながら))
2年生の時、学童に迎えに行くと、いつも数人で遊んでいるのにまる子が1人でいた事があった。
気になって、「なんで今日は1人なん?お友達とケンカでもした?仲間はずれにされた?とか?」と聞いたら、
「まる子は小さいこと気にせんし、なんともないし、お母さんもうそれ以上聞いてこんで」
と言われてしまった事がある。
あたしはささいな事がすごく気になるタイプだけど、この子は全然気にしていない。
いちいち言う事でもない。そうゆう性格の子だった。
あとから知ったけど、1人で遊んでいたのはYちゃんが(またYちゃん!)犬役と飼い主役を決めてペットごっこして遊ぼうと言い出して数人で遊んでいたらしい。それをやりたくなくて1人で遊んでいたようだった。
そんな子だったので、最近のまる子の行動が本当に意外すぎた。
何がどうなった?!
よほどの事があったに違いない!と思ったが、まる子は特にないと言う。
あたしに隠し事をしているとも思えなかった。
対処法も見つけられず、様子をみるしかなく、ため息ばかりが出る日々だった。
母子分離不安
4月の下旬から、朝「行ってきまーす」と普段通りに家を出るが、途中で引き返し、泣きそうな表情で戻ってくるようになった。
でもなんとか学校には行っていた。
スポ少の事もあるし、なんか様子がおかしい。
でも何も原因がよく分からない。
あたしはそんなまる子が気になって色々ネットで調べた。
【母子分離不安】
子どもが母親から離れることに対して不安を感じること。この不安が極度に強まると、腹痛・頭痛などの身体的症状や、母親がいないと泣きだしてしまうといった精神的症状を引き起こす。
その時、一番しっくりきたのはこの言葉だった。
ちょうど学校の家庭訪問があり、担任の先生にまる子の状態を話すと「母子分離不安の状態ですね」と言われた。やっぱり。
学校での様子を気にかけて見ておきますねと言われ、ベテランの先生だったので心強かった。
あたしと離れて不安になるような環境の変化は何も起こっていない。
母子分離不安の症状にはしっくりは来ていたけど、なぜ突然そうなったのか、全く分からなかった。
まる子も自分の事なのに何が何だか分かっていなかった。
実はケンカしていた
スポ少に行けなくなった時、すぐ家に帰ったら「何で帰ってきたん?」って聞かれるのが嫌だろうなぁと、まる子とコメダで時間を潰して帰ったりした。
たわいもない話をしたり楽しかった。
まる子もクリームソーダを注文して嬉しそうだった。
- あたし「最近悲しかった事とか、ショックな事とか、陸上に関係ない事でも何かある?」
- まる子「んー。春休み遊んだ時にYちゃんとケンカみたいになった事があって、Yちゃんにまる子は親友じゃないって言われた。」
- あたし「え、そうやったん!?何も言わんかったけど・・・同じクラスになったけど、今もケンカ中?」
- まる子「いや、今は遊ぶよ!」
こんな会話をした事がある。
あたしはいつもまる子が遊んで帰って来た時、「おかえり!楽しかった?」と聞く。
その日も変わらず「うん!楽しかったよ!」と言って帰って来たはず。
Yちゃんは同じ学校のお友達でスポ少にはいない。ボス的存在でちょっと意地悪でトラブルメーカー。よく周りからそんな話は耳にしていた。
でもまる子はYちゃんを悪く言う事はなく、好きだった。
ケンカの内容を聞いてみると、目が二重とか奥二重とかの話になって、まる子が「Yちゃんもまる子と一緒で奥二重よね」って言うと、Yちゃんが「私は二重やし!」と怒って「まる子はもう親友じゃない」って言われたらしい。
どっちが悪いとも言えないちょっとしたケンカ。
でも、親友じゃないって結構きついな、とは思った。
まる子はそれが原因で陸上に行かれなくなったとは思っていない様子だった。
あたしも直接的原因ではないと思っていた。
スポ少に行けない
どんなに寒くても楽しみにしていた陸上クラブの練習。
山の中にあるグラウンドだったため、冬は極寒だった。
18:00くらいには夕飯を済ませ、食べ過ぎや揚げ物は控えるなど、あたしも仕事をしながらの週3回のスポ少はけっこう大変だった。
練習中、親は帰らずに1時間半応援するという暗黙のルールがあったし、片道20分の距離だったため、あたしも子供の頑張りを見守っていた。
陸上はただ走るのみ。
唯一楽しめるのはリレーくらいで、基本はとにかくひたすらグラウンドを何周も走る。
真冬は見ている方もつらいんだけど、子供の頑張る姿に涙が出る事も度々あった。
あたしも頑張ろう!って子供からパワーをもらっていたと思う。
毎回「楽しかったー」と言って、練習を頑張っていたまる子。
そんなまる子が突然走れなくなったのは、長男が6年で卒団したため、まる子だけ行くようになった5年生になる前の春休み。
コーチに怒られたりもしていない。
お友達と揉め事もなく仲良くしている。
走るのが嫌いになったわけではない。
家を出る時までは今までと変わらない。
なのに、練習場に着いたら具合が悪いと言い出して、走れず車で休む。
そのうち、行く途中に具合が悪くなり、泣き出す。
着いても車から降りられず、泣く。
訳が分からない。まる子も理由が分からない、陸上は辞めたくないと言う。
「気持ちは行きたい!泣きたくない!って思うのに、近づくにつれてドキドキして涙が出てくる。毎回お母さんに迷惑かけて、こんな自分が嫌になる。」と泣き出す。
とりあえず、スポ少には1ヶ月休みますと伝え、様子を見る事にした。
周りのお母さん方は、お兄ちゃんがいなくなって寂しくなったんじゃない?なんて言っていた。
あたしもそんな風に思っていた。
学校は新学期が始まっていたが、普通に登校していた。
なので当然、スポ少に原因があるのだろうと思っていた。
1分でも1秒でも早く、この子の心の苦しみを取り除いてやりたかった。
泣いているまる子を見て、あたしもつらかった。
お母さんが助けてあげるからね、といつも思っていた。
と同時に、なんで??原因は何??と、訳が分からず正直、かなり動揺もしていた。
はじまりはこんな感じ
まる子は2年生からスポ少の陸上クラブに入り、週3回19:30~21:00の練習に励んでいた。
2つ上の長男と一緒に入部し、ただただグラウンドを走るだけの練習なのに毎回とても楽しんでいた。
同じ小学校の子はいなかったため他校のお友達もでき、校内マラソン大会は毎年2位で、1位を目指して頑張っていた。
5年生になる前の春休み、練習が始まったばかりの1周目で「苦しい~」と泣いてあたしの元に駆け寄ってきた。
珍しいなとは思ったが、あたしはさほど気にとめていなかった。
けど、後から考えるとこれが始まりだった。
はじめに
娘まる子は現在(2020年11月)中学2年生。
最近、髪をマッシュショートにしたら、ほっぺがぷくっとしている上に、丸みを帯びた髪型で、首から上が「THE まる!」ってなった。
あたしは家でまる子と呼び始めた。
仲良しの友達からは肉まんって言われた~と笑っていたが、とても似合っている。
3年前の小学5年生の時、まる子は突然不登校(保健室登校)になった。
まさに、よくある「まさかうちの子が・・・」だった。
チャキチャキした性格で超お気楽な明るく活発な子。
運動も大好きで走るのも泳ぐのも得意。
お友達も多く、誰とでも仲良くなれる。
保育園→小学校入学してからも毎年担任の先生から「しっかりして頼りになる」と言われる。
(どうやったらこんないい子に育つんですか^^なんて言われることも)
そんな娘が突然まさかの不登校。
みんな目を丸くして驚いた。
なかなか受け入れることができなかった。
親子で涙を流す日々。とてつもなくつらかった。
ゴールが見えない真っ暗のトンネルの中にいるようだった。
同じように悩んでおられるお母さんに少しでもお役に立てれば...と、当時つけていた日記を元にブログを書くことにした。
まる子はあっけなく乗り越えられたから。